明日からは、いよいよ三社祭。
2013年05月16日
明日からは、いよいよ三社祭。
先週行われた神田祭、そして日枝神社の山王祭は
江戸時代、将軍ご上覧の天下祭。
神輿や山車が城内まで入ることが許されました。
対して三社祭は町人の祭。
昔から浅草は盛り場なので、どんどん派手になっていきました。
当時の祭は山車がメインなので、山車が天下祭より立派になってしまい、
三社祭では山車が禁止され、神輿がメインになったのだそうです。
ここで三社祭の由来をあらためて。
推古天皇の時代628年3月18日の早朝、
漁師の檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が、
宮戸川(現在の隅田川)で投網にかかった黄金に光る観音像を見つけました。
現存する浅草寺の秘仏、聖観世音菩薩です。
兄弟が土地の郷司・土師中知(はじのなかとも)に相談したところ、
驚いた郷司は自ら出家し、生涯礼拝供養したと伝えられています。
兄弟と郷司の三人を権現として祭ったのが浅草神社で、「三社さま」とも呼ばれる由縁です。
江戸時代には三社祭は「観音祭」と呼ばれていて、
観音様のご示現を祝う示現会と、神輿の船渡御が3月に行われていました。
ところが明治時代の神仏分離で、祭りの部分だけが5月に移り、今の三社祭になりました。
示現会は平成12年から復活され、以来毎年3月に行われています。
祭の期間中、街のあちこちで、おそろいの着物を着ているおじさん達を見かけると思います。
これは浅草にある44ヶ町の町会の役員さんたちです。
人口の流出入が激しい東京で、浅草ほど「町会」の機能が活発な土地は、
今どき少ないのではないかと思います。
町会の役員の人たちや、婦人部、青年部が中心になって、
三社祭のさまざまな取り決めや進行などを取り計らっているわけです。
祭だけでなく、冠婚葬祭をはじめ生活のすべてにおいて
町会単位で動くことが当たり前になっています。
ですから浅草において町会長は、ある意味では
議員さんより大変と浅草の古老が言っておりました。
辻屋本店の二代目社長だった私の祖父 辻 政(ただし)は、
戦後から復興した昭和の時代、浅草西町会の町会長を35年間務めておりました。
父、辻 毅政(たけまさ)も町会の祭礼副委員長を6年間務めました。
根っからの祭好きな父は、75歳になる今も、祭の時期がいちばん活き活きしています。
5月19日(日)、本社神輿(一之宮、二之宮、三之宮)がそれぞれ各町会を渡御します。
辻屋が所属する浅草西町会、今年は一之宮を担ぎます。
予定では16時50分頃、辻屋本店のあたりにいれば、迫力の渡御をご覧になれます。
毎年、同じ町会の宗山流の皆さんが、家元・胡蝶さんを先頭に、
素晴らしい衣装でお練りをします。
西町会だけの特典です♪
本社神輿渡御順路は、浅草神社ホームページよりご覧いただけます。
http://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/junro.htm
コラムニスト:富田 里枝
浅草の老舗和装履物 辻屋本店
あさくさ辻屋本店「下駄屋.jp」
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