下駄屋四代目ちゃきちゃき日記

平成中村座が帰ってきた!

 

2000年11月、浅草・隅田川のほとりに登場した「平成中村座」。
江戸時代の芝居小屋の雰囲気が感じられる舞台はその後、
大阪や名古屋、ニューヨークでも公演され、いよいよ旗揚げの地、
浅草に帰ってきました!

病気療養していた中村勘三郎丈の復帰は、
テレビや新聞でも話題ですが、私も初日にその元気な姿を観てまいりました!
二幕目『お祭り』でいよいよ勘三郎が登場すると、
客席から「待ってました!」それに応えて「待っていたとはありがたい。」
観客はもちろん、関係者や家族、そしてご本人も、
この瞬間を心から待っていたのですよね!胸が熱くなりました。

今月3日、浅草では「東京時代祭」が開催され、
時代衣装の行列で「平成中村座」の役者陣が「安宅丸(あたけまる)」に乗り、
華を添えてくれました。

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安宅丸というのは、徳川三代将軍・家光が作らせた幕府の御座船で、
櫓(ろ)が100挺もある巨大な船。

静岡で完成した安宅丸が江戸に入港する際、
初世中村勘三郎が船先に立って木遣りで音頭をとったところ、
見事、漕ぎ手の息が合ったという逸話があるのです。
ご褒美に拝領した船覆いの布が後に、
黒・白・柿(茶色)の中村座の定式幕になったと伝えられています。

定式幕とは、歌舞伎の舞台の引幕のこと。
江戸時代、定式幕を使うことができたのは、
幕府の許可を得た芝居小屋である
中村座・市村座・森田座の「江戸三座」だけ。とても名誉な幕でした。

現在、歌舞伎座の定式幕に使われている、
おなじみの黒・柿・萌黄(緑色)の3色縦縞は
「森田座」の定式幕を踏襲するといわれています。
(ちなみに国立劇場は色の配列が違います)

「平成中村座」では、黒・白・柿の定式幕がかかり、
芝居小屋の内外に、中村屋の定紋「角切銀杏(すみきりいちょう)」が
描かれるのが特徴でもあります。

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今月夜の部の『猿若江戸の初櫓』は、
京の狂言師・猿若(初世勘三郎)が江戸にやってきて、
中橋南地(現・京橋)で芝居小屋の櫓を上げる、江戸歌舞伎創成の物語。
猿若を勘太郎、出雲の阿国を七之助が演じています。


「猿若座」(後の中村座)に始まった江戸歌舞伎は、
日本橋界隈に芝居小屋が集まり、大変賑わったのですが、
天保12年 (1841年) に一帯が火災で焼けてしまいます。

折しも幕府では老中・水野忠邦が天保の改革を推進、
風俗を取り締まるため、城下から芝居小屋を一掃しようとします。

ここで登場するのがご存じ、「遠山の金さん」のモデルになった
北町奉行・遠山景元(かげもと)。
芝居小屋の廃止に反対、浅草猿若町への小屋移転だけに留めたのだそうです。
以後、江戸庶民から絶大な人気となり、芝居で「遠山の金さんもの」が
しきりに上演されたのだとか。

というわけで、江戸の芝居小屋は浅草・猿若町へ。
芝居茶屋や芝居関係者の住居もこぞって移り、
ここに一大芝居町が形成されたのです。

広重の浮世絵には、道の両側に芝居小屋が軒を連ね、
多くの見物客が行き来する賑やかなようすが描かれています。
今では芝居町の面影はまったくありませんが、
唯一、明治5年創業の「藤浪小道具」という歌舞伎や演劇、
舞台、テレビ番組などの小道具を製作している会社があります。

先日、藤浪小道具を見学するチャンスがありました。
広い作業場に塗師、木工、絵付け、竹細工など、
さまざまな職人さんが黙々と仕事をしていました。
小道具は、軽くて丈夫で、すぐに修理できることが重要。
役者さんの体格や、筋力(高齢の人には軽くないとだめ)に合わせて、
短期間で作ることが要求されるそうです。

感動したのは戦災にも残ったという地下1階、地上3階の蔵!
あたり一面、焼け野原になってしまった浅草ですが、
この蔵だけがぽつんと残っていたのだとか。
蔵の中には鎧や刀剣がずらり。出番を待っていました。

歌舞伎とは縁の深い浅草で、
江戸の芝居小屋の熱気をじかに感じられる「平成中村座」。
ぜひ足を運んでみてください。

コラムニスト:富田 里枝

浅草の老舗和装履物 辻屋本店

あさくさ辻屋本店「下駄屋.jp
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