下駄屋四代目ちゃきちゃき日記

今、豊かな人生を送る一つのヒント

 

はじめまして。
浅草で創業大正元年(1912)の和装履物店
「辻屋本店」の四代目、富田里枝と申します。


来年はいよいよ辻屋本店創業百年。そしてスカイツリーも開業します。
このコラムでは、私のホームタウン浅草を中心に
下町の暮らしや出来事についてお届けします。

「下町」のイメージといえば...?
庶民的で義理と人情に厚くて、気が短くて喧嘩っ早い。
べらんめぇ言葉でしゃべるおじさんや、おせっかいで元気なおばさんがいる町。
そんなところでしょうか。

実際、私の周りはごく普通に生活している人たちで
「てやんでぇ!」とか「がってんだ!」とか言う人はいないですけどね。
といっても下町独特の色や匂いはあると思います。

余談ですが、今の感覚だと下町といえば浅草、
あるいは寅さんの葛飾あたりを思い浮かべます。
(この二つをごっちゃにしてる人もよくいます。本当はすごく離れていますよ!)

でも江戸時代は、神田川より南、隅田川より西、
江戸城から東、江戸湾から北の、細長い一帯が下町でした。
今でいえば山手線の外側から隅田川まで。
つまり新橋、銀座、日本橋から神田明神のあたり。
武家町、寺町に対して、商業地・町人が住む町が城下の町、下町というわけです。

最近はスカイツリーのニュースが目立ちますが
浅草はほとんど毎週、どこかのテレビや雑誌に取材されています。
浅草寺、仲見世、雷門というシンボルがあることはもちろんですが
実は昔の建物はほとんど戦争で焼けて、残っていません。

でもそれほどテレビに取り上げられる理由は、"浅草コミュニティ"...
町に暮らす人々の気質と生活に「江戸の風情」が残っているからではないでしょうか...。

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浅草の商店主は、店舗の2階、あるいはすぐ近所に住んでいる。
ゆえに、浅草では仕事空間と生活空間が密着しているのです。
銀座や日本橋も老舗が多い町ですが、店主や社長さんは
別の町に住居があるケースが多いと思います。

家族を例に出すのは恐縮ですが、たとえば私の父の一日は...。

朝、開店準備を済ませると、決まった喫茶店でコーヒーを飲みながら近所の人達と情報交換。
昼、決まった蕎麦屋で蕎麦をたぐりながら女将さんとおしゃべり。
夕方、決まったお風呂屋さんで、近所の人達と世間話。
閉店後はやはり決まった居酒屋か天ぷら屋、洋食屋などで夕食。
飲みに行くのも決まったスナック。こんな感じ。

高いお店には行かない、ほとんど買い物もしない、
でも半径10キロ圏内で、ささやかに楽しく暮らしています。
お金はなくても、生まれ育った大好きな町で仕事をしながら仲間がいて、
行きつけのお店があって...というのは、けっこう豊かな生活と言えないでしょうか。

江戸風俗研究家・杉浦日向子さんの著書などを読むと
江戸の庶民も、質素だけれど日々を楽しんでいたようです。
私の父も、お江戸でござる...とは言わないまでも、向田邦子ドラマくらいは地で行ってます(笑)。

3.11後、「絆」という言葉がキーワードになりました。
明日、何が起こるかわからない。あの大災害で日本人は皆、そう感じたと思います。
財産や家、土地はなくなるかもしれない。
でも人と人の絆はなくならないし、それだけが生きる力になる。
江戸時代のような、下町の人と人の距離感や生活形態は
今、豊かな人生を送る一つのヒントになっているような気がします。

コラムニスト:富田 里枝

浅草の老舗和装履物 辻屋本店

あさくさ辻屋本店「下駄屋.jp
富田里枝twitterアカウント

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