ニュース/取材

蕎麦本来の味と歴史を学ぶ ~手打古式蕎麦~


10/1の日本テレビ、「ぶらり途中下車の旅」で
俳優の田山涼成さんが紹介していたのが、真っ黒な蕎麦。
画面を観ていて大いに興味を惹かれましたので
湯島にある、その名も「手打古式蕎麦」さんを訪ねました。

お店のご主人です。パッと見はちょっと怖そうな感じの方でしたが
細い目をさらに細くして作る笑顔は柔和そのもの。

32.jpg












気取りのないご主人のお人柄を反映してか
お店の造りも質素で落ち着いていました。

27.jpg












早速「ぶらり」で紹介されていた「古式もり」を出していただきました。
光の加減であまりうまく写っていませんが、見事なまでに黒々とした蕎麦です。
一般的には取り除いてしまう甘皮をそのまま練り込んでつくると
艶のある黒色になるそうです。

28.jpg












大根の絞り汁に生醤油をそそいだつゆにつけて食します。
つゆに余計な味がついていない分、蕎麦の濃厚な香りが口一杯に広がります。
一気にすすり込んでしまうのが惜しいくらいの深い味わいです。
立ち食い蕎麦なんかとは到底同じレベルでは論じられない、
「蕎麦という穀物」の味を見事に活かした味です。

薬味についている鰹の削り節を入れると
少しつゆの味がおなじみのモノに近くなります。
でもあくまで主役は蕎麦。
堂々たる存在感は最後まで消えませんでした。
食後に出していただいた蕎麦湯がまた濃厚。
蕎麦がきをそのまま飲んでいるかのような錯覚を覚えました。

お父さんが脱サラして蕎麦屋をはじめたのが
自らも蕎麦屋をやるきっかけとなった、というご主人は
蕎麦の味に負けない、濃~いお話を聞かせてくれました。

蕎麦が今のような麺の形で食べられるようになったのは江戸時代の中期頃。
それまでは「蕎麦」といえば蕎麦粉を直接湯に溶く蕎麦がきのことを指し
現在一般に蕎麦と呼ばれているものは蕎麦切りと言い習わしていたそうです。
この時代に夜中に蕎麦切りを売り歩く蕎麦屋が誕生したとのことでした。

なお、この頃は買い手がどんぶりを用意し、売り手は蕎麦の玉をその中に入れ、
つゆを注ぐという形式が一般的だったそうです。
防火上の理由で火気を持ち歩くことは厳禁とされていたので
「時代劇に出てくるようなその場で煮炊きしているような蕎麦の屋台は嘘っぱちだよ」と
ご主人は笑っていました。

ご主人は蕎麦屋を始めるにあたって、お父さんから
「お前は、一般の客を相手にするのか、それとも目利きを相手にするのか、どっちだ?」
と問われたそうです。

ご主人は「目利きを相手にしたい」と答えたそうですが
お父さんから「それじゃ商売にはならないな」と即座に言われたそうです。

「目利きを相手にするには、材料も高いモノを使わなきゃいけないし、
手を抜く訳にもいかない。常に真剣勝負を強いられるからね。
でも俺は100人のうち多分3~4人しかいない目利きに
『たいしたことねーな』って言われるのが怖かったから
目利きを相手にしたいって答えたのさ。」

ご主人は柔和な笑顔を絶やさずにさらりと仰っていましたが、これは実に深い話です。
このご主人の哲学が「蕎麦本来の味」を追究することにつながり、
「手打古式蕎麦」で結実するのです。

ご主人はまた
「今日の蕎麦も出来は悪くないけど、本当にいい状態の蕎麦粉を使った蕎麦は
今日食べてもらったモノなんか比べ物にならないほど香りが高いよ。
本当にいい状態の蕎麦粉ってのは、農家がきちんと育てて
一番いい状態の時に収穫したやつさ。」と仰いました。

罪なご主人です。
そんなこと言われたら、その「最高の香り」って奴を
ぜひ味わってみたくなるじゃありませんか!

でもまだ、ご主人の渾身の一品を味わわせて貰うには修行が足りないようです。
ご主人に「こいつはナメてかかれない」と思わせるような目利きになって
是非もう一度訪れてみたい。
そう思わせてくれるお店でした。いや、勉強になりました。

-------------------------------------------
「手打古式蕎麦」
東京都文京区湯島3-20-5
03-3836-5229
営業時間
11:00~14:30
17:30~21:00(21:30閉店)
休日
第三月曜日
-------------------------------------------
取材:江良与一

(「ぶらり途中下車の旅」で紹介された手打古式蕎麦)

コラムニスト:ニュース/取材編集者

本ページはプロモーションが含まれています。