プランナー・エイミーのゆるーい感じで仕事と子育て

わたしの子育て3か条


子どもを眼科に連れて行った時のこと。
ストローラーに乗ってすやすやと寝ているわが子を覗き込んで、
かわいいわねぇ、本当にかわいいわ、と声をかけてくださるご婦人が二人。
ありがとうございます、と一言二言話して、
その後目を覚ました娘をあやしていると、
お二人は、子どもってあんなに可愛いのにと今は思うのに、
自分が子育てしているときにはなんであんなに怒っちゃったんだろう、
といったような話をし始めた。
いま思えば怒ることなんか全然なかったのに、
どうしてあんなに怒ったりしたのかねえと。

「息子がいまお嫁さんといるときにやたら強く言われてたりしているから
『あなたいいの、あんな強く言われちゃってて』というと、
『大丈夫、お母さんの方がよっぽどきつかったから』なんて言うの」
「でもそんなもんなのよね、ホント今思えば怒ることなんて全然なくて、
抱きしめてあげてりゃよかったのにねえ」
まだ赤ちゃんの娘にときおり目をやりながら、
そんな会話が続いた。

まだその子育て真っ最中のわたしだが、
常に"そんなに怒らなくてよかったんじゃないか"の自問の連続である。
可愛いのに憎らしい、の連続であり、
コラ&ぺチン!とギュ~&チュ!の連続である。

マナーやルール、やさしさをきちんと教えたいというのが第一だけれど、
自分の腹が立つ、悲しい気持ちをどうしても表さずにいられないこともしばしば。
自分が体も力も大きいことを、無自覚に利用した怒り方は絶対にしたくないが
いくらかはそうなっているだろう。

だからこそわたしが決めていること、
言い過ぎたこと、ダメだったことはすぐ謝る。
言い過ぎたりダメなことをするのが前提になっているようでもあるが
自分をコントロールできずに吐き出さずにいられない言葉は仕方ない、もう言うしかない。
でもすぐに「ゴメン、今のはママ悪かった、言い過ぎだ。
ママがこんなこと言うのはとてもダメだった」と続けて言うのである。
そうすると必ず息子は「ううん、ボクが悪い。
ボクがこういうこと言ったから、したから、ボクが悪いよ。ママ悪くないよ」という。
そんな言葉を聞いたらもう抱きしめずにはいられない。
バカみたいなやり取りだけれど本人は大真面目であり、毎日この繰り返しである。

子育てするうえで、気になること気にしなきゃいけないこと、いろいろあるだろうけれど
わたしが大事にしているのは三つ。
"言葉"と"スキンシップ"と"ごはん"である。
言葉できちんと表現する、できることは大事だと思っている。
「大好き」も「ごめんね」も。
そして、それを伝えるためのスキンシップ。
抱きしめる、触る、体で感じることは言葉以上に大きい。
抱きしめてあげる、と大人は言うけれど、こちらの方が抱きしめてもらっている。
子どもは本当にあったかい。
そしてごはん。
食べることは今でもわたしの大きな楽しみ。生きる喜びのひとつである。
ごはんが楽しいとかうれしいとか、それ以前に当たり前、と思ってくれることが
親としては幸せな努めなんじゃないかなと思う。もちろん少々面倒な日もあるけれど。
今日のごはん、という響き、いくつになってもいいな、と思う。
あったかくて、誰かがいてくれるような、うれしい幸せな響き。
そういえば、テレビの料理紹介番組も『今晩のおかず』『今日の夕飯』など
そんなフレーズが多い。
きっと多くの人が「今日のごはんは何にする?」というフレーズを
心の中で求めているからにちがいない。

戻って先ほどの眼科のご婦人お二人、
子どもには怒ってしまって今振り返れば後悔、とのことだったが
話は子どもに怒りすぎた反省から、孫の話題へ...。
「お孫さんにも怒ったりされるの?」
「いやいや全然。孫はもう全然別。怒るなんて考えたこともない」のだそう。
孫って、子ども以上に別格なのは、たぶんいつの世も同じなのだろう。
わたしの親もそんな風にいま感じているのかなぁ...?

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はんができるまでの子どもの時間。
もうちょっと待ってね...


コラムニスト:丸山 エミ

マルコムラボ 代表

丸山エミのAbfab Days
http://abfabdays.blogspot.com/

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