一人広報の達人イデルミのコラム

ラプラプより、東日本大震災から一年を迎える2012年の初めに


新しい年、2012年となりました。

東日本大震災の影響で、年末年始を避難先で
過ごしていらっしゃる方もおられると思うと、
今年は心から素直に「おめでとう」と言いづらい気持ちです。

年賀状も、「あけましておめでとう」や「謹賀新年」などの言葉は書かず、
震災がきっかけとなった自分自身のキャリアチェンジ(転身)を
漫画にしたものにしました。

2011年の年末から2012年の年始にかけて、
フィリピンのマクタン島にある、
ラプラプ(Lapu-Lapu)というところに来ています。
リゾートで有名なセブ島の隣にあるのがマクタン島です。

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以前、JICAの青年海外協力隊として、ここフィリピンのルソン島で、
栄養改善や女性職業支援などの活動をしました。
隊員としての職種は、食品加工でした。
前任者がいなかったので、自分自身で仕事を創り出す必要がありました。
安価に入手できる、栄養価の高いモロヘイヤに着目し、
フィリピン人が嫌いな"ねばねば"を防ぐ料理方法を村の女性たちに教えたり、
村の低体重児童へ栄養価の高いおやつを与える活動をNGOとおこなったり、
手に職のない女性にモロヘイヤの菓子の作り方を指導し、
自分たちでお金を稼ぎ、自立できるようにするプロジェクトを立ち上げたり。

自分の得意なケーキ作りの技術を活かし、
JICAの職員や隊員の仲間たちに、年に一回の総会のとき、
キャロットケーキや洋梨のタルトなどを焼いて販売し、
得たお金で、村にオーブンを買いました。

オーブンは、村の人たちやNGOをマニラに連れてきて選んでもらいました。
マニラに行くとき、村の人たちは、めったにない遠出に大騒ぎ。
貴重なニワトリを絞めて、鶏肉の弁当を全員に作ってくれました。
そうして手に入れたオーブン。
オーブンがあれば、自分たちでモロヘイヤのクッキーをつくり、売って、
自分たちの手でお金を得る(=自活、自立する)ことができます。
モノやお金の援助だと、それが無くなればそれっきりですが、技術を伝えれば、
現地の人たちが自立できる、長い目で見ての真の援助になります。

ところが、2年間の任期満了直前、うつ状態になって顧問医に帰国を言い渡され、
着の身着のままで突如の帰国。
悔しいやら悲しいやら、泣きながらマニラの空港を後にしました。
そこからは、どん底生活の始まり。仕事を辞めて参加したので無職。
時間はたっぷりあるのに、何もやる気がしない。
体はやせ細り、お世話になったフィリピンの人に手紙を書こうとしても、
1文字書いたまま、先へ進めない。
大好きなお寿司を母がスーパーで買ってきてくれて、
それを食べても、味覚を無くし、まるで砂を噛んでいるよう。

前職で一緒だった社員に「(フィリピンへ)いったい、なにしに行ってきたの」と聞かれると、
自分への非難や責めに聞こえ、人とのコミュニケーションがとれなくなる。
「もう少し頑張れば任期をまっとうできたのに、なぜ任期満了間際に
帰国してしまったのだろう?」という自責の念にかられる。

優柔不断で、いつまで経っても物事を決められない。
こんな情けない自分なんか、いなくなればいい。生きているのが嫌。このつらさから逃げたい。
"三歩進んで二歩下がる"ならぬ、一歩後退、半歩進んで一歩後退・・・といった感じで、
一年近くの期間を過ごしました。

あれから15年。

またこの国に来ることなんて思いも寄らなかったのに、こうしてこの地に来ています。
長い年月の間に、気持ちも変わったのでしょう。
自分を許し、事態を受け入れられるようにもなったのでしょう。
フィリピンのすべてが嫌になっていたわけではありません。
つらかったのは、この帰国です。

2年近くのフィリピン滞在中、フレンドリーなお国柄の人たちに、
いろんな面で良くしてもらいました。
15年経っても、いまだにお互いの誕生日に、
手紙やメールのやりとりをしている大学職員の女性もいます。

今回のこのフィリピン行きは、ただのリゾート旅行に見えるかもしれません。
でも私にとっては、つらい体験を乗り越え、一歩踏み出した証でもあります。

父が40代で死んだことも、衝撃的な出来事でした。
私は10代、弟は小学生。母は専業主婦で無職。

人は、大きな衝撃を受けると、涙も出ないことがあります。
「しっかりしなきゃ」と思い、精神的に張りつめて、
泣くこともせず、何ヶ月も何年も過ごし、
後になってその悲しみが沸き出ることがあります。

東日本大震災で、大切な人を亡くした方。
まだ家族が見つかっていらっしゃらない方。
自分の家で暮らすことができず、やむなく避難先で暮らしている方。
それぞれの立場で、理不尽な思いや悔しい気持ち、
いつまで経っても消えない悲しみを抱えて生きておられることでしょう。

今までは「しっかりしなくては」という思いや、あまりの唐突で理不尽な出来事に、
自分の感情を抑え、泣くのも我慢して過ごしてこられた方もいらっしゃるかもしれません。
震災から一年近く経ったからと言って、
被災者の方へのサポートが完了したわけではありません。

原発問題は相変わらずですし、経済的な問題や雇用問題のみならず、
こころの問題が今の時期に出る場合もあるはずです。
もっと後になって出てくるケースも、きっと、あります。

東日本大震災が発生してから、私自身、石巻へ物資を運び、
NPOの広報としての活動を始めてはいますが、
自宅や家族が被災したわけではありません。

都市銀行に勤めていた亡父の娘として、生まれたときから
北海道から九州まで転々として育ち、「故郷はどこ?」と聞かれても、
どこがふるさとだかわからないような暮らしをしてきました。
だから、その土地で生まれ育って長年暮らして来て、
愛着のある土地を離れて暮らしている被災者の方々の気持ちに、
本当の意味で寄り添うことは、難しい。

ただ、かつての自分の体験 ― どん底状態や、
突然の身内の死とともに生きてきた自分の体験をお伝えすることはできます。
よく「壁を乗り越える」というけれど、乗り越えるのではなく、
「悲しみとともに生きていく」方が、私にはしっくり来ます。

いま、つらい人へ。

そのつらさから抜け出すには、長い年月がかかるかもしれません。
完全に忘れることなんて、できない。
人のこころは、パソコンみたいにリセットするわけにはいかない。
時間が経てば経つだけ記憶が薄まるとは限らない。

でも、あなた次第で、そのつらさがやわらいでくるときが、来る・・かもしれません。
いまは信じられなくても。

あなたの命を大切に生きて欲しい。

東日本大震災で被災した全員の方々が、
こころ穏やかに暮らせるときが来るよう、心から願っています。

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コラムニスト:井出 留美

office 3.11代表

井出留美オフィシャルブログ http://iderumi.com/
Twitter of Dr. Rumi Ide, Ph.D. : http://twitter.com/rumiide
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