下駄屋四代目ちゃきちゃき日記

被災地とのご縁をつないだ下駄の話


先日、60歳前後の女性が「あのー、踊りで使う下駄が欲しいんです」と、
うちの店に入ってきました。季節外れだなーと思いながらも、
盆踊りですか?と聞くと「いえ、伝統芸能なんです。」

詳しくお話をうかがうと、福島県浪江町請戸地区の
「請戸の田植踊」に使う下駄を探しているとのことでした。
請戸地区は東日本大震災の津波で壊滅し、さらに原発事故の警戒区域となり、
現在も立ち入りが規制されたまま。
田植踊は江戸時代から300年以上続いている伝統芸能で、
近年は請戸芸能保存会が、地元の子どもたちに踊りを継承しているそうです。

店に現れたのは、保存会会員で東京に避難中の佐々木繁子さん。

「神社も、子どもたちの衣装や太鼓も、すべて流されてしまいました。
でも私たちの窮状を新聞などで訴えかけたところ、
福島県内の協力者の支援で、新しいものを用意することができたのです。
昨年8月にはいわき市で、田植踊を震災後、初披露しました。」

田植踊は本来、毎年2月に地元の苕野神社の安波(あんば)祭りで奉納されるのですが、
神社も失ってしまった今年は、福島市と二本松市の仮設住宅を訪ね、
踊りを披露することにしたのだそうです。

「8月は室内だったので、草履で踊ったのだけれど、今回は下駄が必要なんです。
福島は、雪がまだ残っていてねぇ...」と佐々木さん。
下駄は10足ほど欲しいが、一足3,000円位までしか予算がない、とのこと。

うちの店では5,000円以上の桐下駄しか扱っていません。
でも桐以外ならば安価な下駄があるかもしれない...と思い、
仕入れ先をいろいろ当たってみたところ、
ドロヤナギという木を素材にした下駄を仕入れることができました。

ドロヤナギは明治~昭和初期、下駄が庶民の履き物だった時代に、
全国的に流通した素材です。
現在はほとんど見かけないので、逆に希少な存在ともいえます。
偶然、発見したことに喜びつつ、ふと
「被災地に役立ちたいと思っていたけれど、下駄屋ができることが、ようやく見つかった!
ぜひ寄贈させていただこう」と思い立ちました。

さっそく、子ども達用に赤い鼻緒を、大人用に白地に麻の葉柄の鼻緒を挿げました。

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数日後、下駄を受け取りにみえた佐々木さんは、涙を浮かべて喜んでくださって、
「震災が起きるまでは、毎年当たり前のように踊ってきたけれども、
故郷に戻れず住民も散り散りになった今、ほんとに田植踊があってよかったと、
心から思います」とおっしゃっていました。

私が暮らす浅草も、伝統的な祭りや芸能が残る町です。
昨年は大震災の影響で、浅草でもいくつかの催事が中止されましたが、
とくに三社祭がなかったのは、地元民にとって心にポッカリ穴が開いたような、
なんとも空虚な気持ちでした。

祭りは単なるイベントではないということです。
浅草は観光地なので、経済効果の点での影響もありますが、
それより大事なのは、祭りを行うことで人が集まり、話し合い、物事を決め、
ときには喧嘩もしながらコミュニケーションを深めること。

形あるものが無くなっても、伝統芸能が人と人をつなぎ、心の拠り所となる。
故郷を失い、家族や友達とも離れ離れになって請戸の子供達にとって、
田植踊で友達に再会できることが、どんなに心強かったか...。

後日、佐々木さんから次のようなメールと写真が届きました。
「2月19日に安波祭として、福島市と二本松市の仮設住宅を訪ね、
辻屋さんから寄付して頂いた下駄を履き、踊ってきました。
本当は、警戒区域内である請戸の苕野神社の前で踊りたかったのですが、
散り散りになった避難先へ出向き、ふるさとの絆を深めるために踊ってきました。」

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7月28、29、30日には東京の明治神宮で「請戸の田植踊」が奉納されるそうです。
私もぜひ、子ども達の元気な姿を見に行きたいと思っています。
コラムニスト:富田 里枝

浅草の老舗和装履物 辻屋本店

あさくさ辻屋本店「下駄屋.jp
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