下駄屋四代目ちゃきちゃき日記

芸人の町、浅草でお笑いライヴ


浅草は芸人の町です。
渥美清や萩本欽一、ビートたけしなど、
後に国民的スターになる面々が芸人の第一歩を踏み出したのは「浅草フランス座」。
(現在は「東洋館」と名前が変わり、漫才やマジック、ものまねなどを興業しています)

都内に4つある落語定席の1つ「浅草演芸ホール」では
「笑点」に出ている噺家さんの話芸を間近で味わうことができます。

大衆演劇の芝居小屋「浅草木馬館」のお隣、「浅草木馬亭」は
日本でも数少ない浪曲の定席ですが、月のうち8日間は
「お笑い浅草21世紀」という爆笑軽演劇を行っているそうです。

浅草寺の向こう側、言問通りを渡ると「よしもと浅草花月」の前では
人気お笑い芸人の出待ちの女の子たちが集まっています。

私も時々、息抜きに喫茶店に入ると、出番の合間や仕事の帰り際に
珈琲を飲んでいる芸人さんと隣り合わせになることがあります。
落語会の席亭をされている飯田ひとみさんと出会ったのも
演芸ホールのすぐ近くにある喫茶店「アロマ」でした。

10年程前、会社員だった飯田さんは浅草に転勤になり
たまたま噺家さん達が職場によく出入りしていた関係で
落語をよく聴くようになったのだそうです。
故・桂文治師匠とも親しくなり、ある時「はなし塚」の歴史について知ることになります。

「はなし塚」は浅草の本法寺境内にある、その名のとおり噺、
つまり落語に縁のある塚です。
建立されたのは、日本が太平洋戦争へ向かう戦時下、昭和16年10月。

この頃、各芸能団体は時流にそぐわない劇、映画、講談など
演劇種目について自粛を余儀なくされました。
落語界も同様に、遊郭や酒、妾などが登場する落語53題を選び
禁演落語として自粛し、台本を「はなし塚」に納めたのでした。

戦争が終わり世の中が平和になると、人々の娯楽も解禁に。
落語会でも、昭和21年「はなし塚」の前で禁演落語復活祭が行われ
それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが
納められたということです。

平成13年からは、当時、落語芸術協会会長だった桂文治さんが
先人の苦労をしのんで法要を始めました。

平成21年には飯田さんが、「第1回はなし塚記念落語会」を開催しました。
二度と禁演落語をつくらないため、
「はなし塚」を広く知っていただきたいという願いを込めて...。

第3回目が行われた今年の8月31日には、私も聞きに行ったのですが
会場の本堂がいっぱいになるほどの大盛況でした。

そして「はなし塚」建立70周年の節目の日、
今月末の10月30日(日)にも、同じく本法寺本堂にて
桂平治師匠が禁演落語「蛙茶番」を口演されます。

「蛙茶番」は、十代目桂文治師匠が弟子の平治師匠に伝えた最後の噺でもあるそうです。
来年、桂平治師匠は、落語会の大名跡、十一代目 桂文治を襲名されます。
<予約・問合わせ先は、はなし塚記念落語会事務局 050-3497-5500 まで>

劇場や寄席は経験がない人も
浅草には気軽で身近に楽しめるお笑いスポットがいろいろありますよ!

テレビでお馴染みの芸人さんも、ライヴではまた別の顔を見せてくれます。
これから有名になるかもしれない新人を発見できるかも...という楽しみも。
そして、笑うことができるのも、平和な世の中だからこそ、ですよね。
コラムニスト:富田 里枝

浅草の老舗和装履物 辻屋本店

あさくさ辻屋本店「下駄屋.jp
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