江戸っ子の「粋」は、マイナスの美学
2011年10月06日
辻屋本店では「あさくさ和装塾」というイベントを開催しています。
毎回、テーマは替わりますが、10月1日に開催した第七回目では
「歌舞伎や芝居に見る江戸の粋」について
日本舞踊家の胡蝶さんにお話していただきました。
胡蝶さんによれば「粋の反対側」にいる人たちがいなければ
粋な文化は存在しなかった。
つまり、士農工商という身分制度があった江戸時代、
贅をこらした雅な公家の文化、壮麗でごっつい武士の文化を
粋の反対、不粋=野暮としたからこそ、粋が生まれたというわけです。
粋の根本は、贅沢はご法度だった庶民の反骨精神、やせ我慢なのです。
「粋」という言葉は、外国語に翻訳しづらい日本語だそうです。
英語の'chic' 'gentleman' 'cool' 'sofisticatid'など、近いようでやはり違う。
外国人だけではなく、現代に生きる日本人にだって、説明するのは難しそうです。
「粋な○○」と、私たちはなにげなく使いますが
本質的な意味をわかっている人は少ないかもしれませんね。
江戸時代の庶民は、絹物を着てはいけないとされていました。
着物にできるのは綿か麻。
もちろん庶民にも絹の着物に憧れがありました。
大名屋敷に奉公に上がった町人の娘さんが藪入りで帰省すると
「野暮な矢の字の屋敷者」とからかったんだそうです。
似合わない絹の着物なんか着やがって...と。
江戸っ子は、自分達の手が届かないものを「野暮」だと決めつけたんです。
食べ物にしても、江戸には自慢できるようなものはあまりなかった。
せいぜい江戸前の海で獲れた魚くらい。
だから江戸時代後期に、それまでの押し鮨と違う、握り鮨が登場すると大ブレイク!
握り鮨は、握って出されたらすかさず口に入れるのが江戸前の食べ方。
当時は屋台でしたから、何個かつまんでさっと出るのが粋とされたのです。
江戸っ子が大好きな蕎麦にしても、辛いつゆにちょっとつけて、するするっとたぐる。
たくさんつゆをつけると、ずるずるっになる。これは野暮。
質素な食べ物だからこそ、スタイルが肝心なわけですね。
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるように、江戸の町は人口が密集していた上、
木と紙でできた家、関東のからっ風で、火災は頻繁にありました。
しょっ中、焼け出されていたのが江戸の庶民。
一夜の火事でなにもかも灰になってしまうかもしれない暮らしだから、
「宵越しの銭は持たない」なんて江戸っ子気質が生まれたのでしょう。
「無い」「持たない」ことが不幸ではなくて、逆にそれが江戸っ子の自慢、心意気。
コンプレックスや悔しさを逆手にとって昇華させる文化。それが「江戸の粋」に繋がるのです。
今年の夏は大震災による電力不足で
企業も役所も一般家庭も、みんなが節電を心がけました。
辻屋本店でも下駄がずいぶん売れましたし、
扇子や風鈴、打ち水など昔ながらの暮らしの工夫も話題になりましたね。
節電を辛い、大変というだけでなく、楽しんだのだと思います。
現代風にいえば、不便を楽しむ、それが「粋」なのかも。
江戸文化が育んだ独特の感覚、マイナスの美学。
あらためて考えてみると、いろんなことがもっと楽しくなりそうですね。
コラムニスト:富田 里枝
浅草の老舗和装履物 辻屋本店
あさくさ辻屋本店「下駄屋.jp」
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